医療法人札幌太田病院創立62周年記念特集 山口喜一関連文集
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1929年12月25日発行 「山口寿一(子息)追悼文集 夏枯草」より
   市川血清と牛、秘密の癌を知る
    ([記]伊藤誠修 「対ガン事業へ」)
ガンの牛から造った血清が効くかもしれぬと市川博士に血清を造る事を依頼した時の様子と隠していた病名が寿一にしれた時の経緯とその後の様子。

市川血清と牛
 山口さんが市川博士に血清を造る事を依頼した翌日、私は博士を訪ねると
「琴似の某が癌の牛をもっている、あの牛を買うべく交渉したが売りたがらない。君が行って交渉して呉れぬか」
 と語られたので、私は直ぐに某を訪ね事情を訴えて懇清した。某は朝から酒でもくらっているような態度で
「自分が今日を得たのはあの牛のお陰だ。どうあっても売る事はできぬ」
とキッパリ断られた。スゴスゴ私は引取って市川博士と相談した。その結果翌日またまた黒澤博士と共に某を訪ねて頼んで見た。矢張同様の返事であったが唯だ
「牛の癌を無料で出張治療しようそれを承知して貰いたい」
 と話すとヤッと是文は承知して呉れたので、翌日は、更に獣医が出張して治療すると同時に、試験の為と語り、血液を取って来た。かくて数度に亘り血液をとって来て、血清の製造にかかった。その牛は額に可なり大きい、癌がついていた。そして痩せ細っていたいたしかった。癌の為に歯は全く抜けて食物も充分とれぬ有様で今後幾日の寿命保てたるか疑問であった。
 私は此牛の寿命が一日もながかれと祈った。


秘密の癌を知る
 或る日のことであった。寿一さんの附添婦も奥さんも一寸病室を留守にした其間に新参の看護婦が何心なく病歴を、他の患者と同様ベットの側に置いて帰った。寿一さんは手を伸してその病歴を取り上げて見た。そこには何を書いてあったろう。是迄は一切病歴は寿一さんの病室に置かなかった。それは病人が余りに神経がミ奮しているから、病気の経過を知らせたくない事と、もう一つは病名を秘して居たからであった。附添婦は奥さんにかくと告げた。奥さんは困った事が出来たと思いながらも無理に平気を粧って病室に入ると寿一さんはいかにも是迄とは打って変って元気なく何事かを考えるものの如くであった、寿一さんは見るべからざるものを見てどれほどか悶い苦しんだであろう。
「おとうさんに私が癌である事を言はぬ方がよかろうか」
と寿一さんは奥さんに相談したとの事であった。
寿一は医師である。癌殊に胃癌と知り余命はいくばくもない事をわからぬ筈はない。それを父親に打開けて心配させるよりはと考へられたのであろう。
とうとう何事も言はずに墓場迄秘して行かれたそうである。
それから衰弱がメッキリひどくなった。


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