医療法人札幌太田病院創立62周年記念特集 山口喜一関連文集
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1929年12月25日発行 「山口寿一(子息)追悼文集 夏枯草」より
   家伝薬と漢方医と万燈山
    ([記]伊藤誠修 「対ガン事業へ」)
名医にも匙を投げられても、あきらめきれず漢方薬から神仏にまで縋(すが)らずに居られない親心が記されています。

家伝薬と漢法医
 余りに手遅れで、レントゲンやラジユームでも治療する事の出来ぬ寿一さんの癌は名医も遂に匙を投げたのである。
 寿一さんの癌は何処から聞くともなく洩れ聞いた人々は、あの薬が効き目があるとか、これがよいとか、ヌは私の親戚の誰々が癌であるとか、私の知っている誰々が胃癌であるとか、と山口さんも驚かれたように、癌患者の多い事と家伝薬や、薬品や、薬草の多い事には私も驚かされた。市川博士の血清の出来る迄、フランスの血清のくる迄、それ迄は何とかして寿一さんの寿命を保たせたいと、電報を打つやら、手紙を出すやらして、薬品を集めた。

 ハマヂシヤ、カンクローヅリン、珠子玉、タンバラの根、アンチクレプチン等々の薬品は集めたものの、どうして病人に服薬せしめるか、主治医に無断でやれぬし、又薬と薬の関係はどうか、薬の副作用はどうかとの問題にぶつかった。山口さんとしてはどの薬もどの薬もやって見たい、今日は此薬、明日は他の薬と求めた丈やって見たいのが腹一杯。それでは薬の利目がわかるまいと、奥さんの反対がある。それに病人が普通の人であればよいが医者と来ているから、今の薬は何かと詰問される。先生に絶対に信頼を置く寿一さんは、先生(医師)の命令でなければ絶対に服薬せぬ。そんなさまであるから、山口さんは、主治医西川博士に衷情を訴へこれこれの薬品を服薬せしめたいがと申出る。西川博士は厳然として
「困ったですな」
 間をおいて、気の毒そうに
「仕方がありません、私がやります、薬を貰いましょう」
 親の子に対するつきざる愛と、アカデミイの医師としての理知。此二つの愛と理知との争い。西川博士は自己の理知を曲げ、山口さんの熱愛を抱擁したのであった。
 かくして家伝薬は用いられた。
「それから支那医が札幌に居るその薬が癌によくきく」
 それは山口さんにとっては非常なひびきであった。此医者を訪ねて投薬を乞うた、けれども病人を見ないでは薬は上げられぬと言われたので手を廻わし薬をまた買いした。そして漢方医薬を用いたのであった。


万燈山
 胃瘻を作ってから寿一さんは、一合五勺程の液体滋養を輸管で摂り、口ではチユーインガムや鯣などを噛んで僅かにその液を飲み込む程度。手術当座は幾分元気を快復した様子であった。そして切口の経過は順調に進み、一週間で縫糸を抜いた程であった。さりながら食物は口から摂るべきもの其れが口や食道を通さないで、殆ど機械的にゴム管で送られるのでいかにも不快そうであった。漸次気むづかしくなるばかり。山口さんも奥さんも、どれ程か其看護に気骨が折れた事であろう。山口さんは、寿一さんの病勢はどんなに進みつつあるかを想像しては、ジッとしていれなかった。自ら求められた藥にも信を置けなくなった。フランスの血清、市川博士の血清はどうなったかと、毎日毎日聞かれるという様子で、尽くせる人事は皆尽くした、そして偶には
「何故に自分は男の子に縁がないのであろう、今迄五人の男の子をなくした」
と力なく悲しく物語られる事があった。それから人によって求められぬ或る力を求められる様になった。そして親戚や知友が神仏を祈祷して呉れた話しがあると大変山口さんは喜ばれ御自身も祈られたようだ、或時山口さんは私に次のお話をされた。「高崎の万燈山に行者が居って、人から見放された病人が此行者の修験によって救われた、との事実談を聞き自分も此行者の祈りを電報で依頼をした」

 
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