医療法人札幌太田病院創立62周年記念特集 山口喜一関連文集
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1929年12月25日発行 「山口寿一(子息)追悼文集 夏枯草」より
   開腹と市川博士と山口さん
    ([記]伊藤誠修 「対ガン事業へ」)
開腹結果の宣告と山口の葛藤、ガン研究の権威である市川博士への治療の依頼記されています。

開腹
 私は大手術を見た事もあるから、胃瘻をつくる位ならという考えと、もう一つは、胃癌とはどんなものか、見て置きたいという好奇心も手伝って、頼まれた自分であった。私が手術室に入った時に、寿一さんは未だ担架の上にあって、今博士と何にやら話して居られた。そして間もなく手術室に移された。丁度六時五分であった。西川博士は篠原助手を初めたくさんの助手と共に、消毒や局部麻酔の注射をする。今、有馬の両博士も手術服を纏い消毒する。注射は一本や二本ではない。時間にして約三十分もした。最後に睡眠剤の注射もしたらしい。西川博士のメスは寿一さんの鳩尾から下腹に四五寸程切り開いた。そして胃を引き出すやうにして胃に穴をあけた。手を入れて第一に胃の外部次に内部を探った。代って有馬博士、次いで今博士もウンウンとうなづきながら探った。西川博士は代ってもう一度手を入れ、ウンと力を入れ肉塊を取出した。その時初めて寿一さんは小さい声でアイタと言った。取り出されたものは一寸位の円錐形状のもので、有馬博士の手から今博士の手に渡った。今さんは器用な手付きで、解剖刀をあて助手に渡した。西川さんは鈎ようのもので胃壁をこすって液をとった。此時もイタタと言ったようである。手術室は八十度(注:華氏温度。約27℃)の温度。気が変になりそう。それから切口の縫合にとりかかり一時間余りで全く手術を終へ、最後に、新に作られた胃瘻から水を入れた。そして白布の覆いが取りのけられ初めて寿一さんの顔が浮んで来た。パッチリと眼を開らいていた手術室と変わりなく。
 今博士は癌だよ顕微鏡を見よとの事に私は覗いた。私は癌の細胞がどうかもわからなかった。西川博士は山口さんに対し
「お気の毒ですが確かに癌です、而かも手遅れで手術が出来なかった。レントゲンやラジウムで出来る丈の治療をしましょう」
と宣告しました。


市川博士と山口さん
 癌と決定し、最善を尽くして戴くことを願うより外に道のなかった山口さんは、悄然として西川外科病室に引取った、衰弱し切った寿一さんはどんなに容体が変わるか予測を許さなかった。山口さんも、奥さんも、緊張し切った、中にも奥さんは病気は何であるかをたづねるのであるが、事実を告げずに其夜は明けた。そして病変もなかった。

 寿一さんは西川博士に対し病名を聞くのであるが、良性の腫瘍であるとばかり、他を言はぬ。山口さんは病名を独り胸に秘めて誰にも言はぬ。そして独り思い悩むさまは思いやるだに涙が流れた。

  開腹の翌十九日、夜山口さんのお宅で私は山口さんから
「癌に対する良薬はないものか、不治の病かどうか」
と相談を受けたが返事のしようがなかったので
「市川博士とお会いして相談して見てはどうでしょうか」
と勧めた。市川博士は人も知る如く人工癌に先鞭をつけ、世人をアッと言はせた権威で、現在では癌の原因や発生を研究しているのである。そして市川博士と山口さんが其夜会って、癌の治療をお願する所あった。市川博士は
「私はまだ治療には手をつけていないが、折角ですから初めましょう。一方フランスのボテローが、血清治療をやっているからその血清を送って貰いましょう」
と親切なお話があった。翌日フランスに打電して返事を待った。四五日目に返電があったが、此電文の解釈がまちまちで、血清を送ったとも見られるし手紙を更によこせとも見られた。何れにしても血清は来ない、遂に来ない。


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